マイクロソフトオフィスを味方にする方法

マイクロソフトオフィスを使用する際に

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近年はパソコン無しでの教育は考えられない

BG氏とPA氏が新たなインタプリタを開発

皆さんもご存知かと思いますが、マイクロソフト社を設立したのは、某A氏と某B氏の二人です。
「Altair 8800」は、1975年1月号で発行された「ポピュラー・エレクトロニクス」の中で紹介されていた掲載記事なのです。
その記事を読んだ、某A氏と某B氏の二人は、新しくマイクロコンピュータの開発を手掛けていたMITSに電話を掛けて、Altair BASICのインタープリターの技能性や性能を確かめたいと申し出が受け入れられました。
某A氏には、インタプリタはおろかAltairシステムも何もありませんでしたが、某A氏はハーバード大学、在学中大学のコンピュータセンターに置かれていた、PDP-10を使いこなし、エミュレーションを行い、某B氏と共にインタープリターの開発に成功したのです。

マイクロソフトという名称は

1975年4月、PA氏は今まで勤めていたハネウェル社を退社してMITSの社員となり、BG氏はというとハーバード大学の学生のままで夏休みになるとアルバカーキにやって来てはBASICの改良を手伝い夏休みが終わると同時に大学へ戻って行ったのです。
同年4月、PA氏がMITS社員となった段階でマイクロソフト社が設立されたとなっていますが、同年同月の段階においてはマイクロソフトという名前は存在していませんでした。
実際には、その年の7月MITSとの間でBASICインタプリタに関しての契約書が交わされた時には、解約は法人としてのMITSと個人であるPA氏・BG氏であったのです。
マイクロソフトという名称になったのは、PA氏が考え出し文章に記録として残されているのは、同年10月MITS社長のER氏がアルテアの広報誌に「コンピュータ・ノート」のため書かれた記事の中にマイクロソフトという名称がありました。


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